卒業旅行の打ち合わせはネットを活用すると便利です

卒業旅行を仲間でいくなら、ネットの旅行サイトを使うと打ち合わせが便利ですよ。卒業旅行にふさわしいプランもたくさん見つかりますし、ネットの旅行サイトなら都合のよいときに簡単にチェックできます。仲間で出かけるときにも、旅行サイトを使えば、いちいちどこかへ集まらなくても、メールなどを使って簡単に打ち合わせを進めることができます。予約も簡単ですしね。
「新婚旅行は、どこにしよう」と、結婚前の夫と相談した時、「絶対に国内旅行にしよう」と言われました。夫は飛行機が大嫌いなので、海外旅行は絶対に嫌だと言い張りました。私自身も言葉が通じない外国に行くよりも、言葉の通じる国内旅行の方が気楽だろうと思い、夫の意見に賛同しました。新婚旅行の行き先は、九州。結局、飛行機に乗る事になりました。
 安城市立作野小が東電福島第1原発事故の緊急時避難準備区域にある福島県南相馬市立原町第一小へ、励ましの言葉を添えたケヤキの絵を送る。全校児童840人をはじめ、父母や住民、教職員ら1000人以上が言葉を贈る予定。
 両校はマーチングバンド・バトントワーリング全国大会の常連校として交流がある。第一小は学区の一部が津波の被害を受けた。児童600人や教職員は無事だったが、児童約440人が全国各地へ転校し、残った160人は別の学校に間借りして勉強している。
 こうした実態を知った作野小の児童会がメッセージを送ることを決めた。第一小のシンボル・ケヤキの大木の絵(縦2・2メートル、横1・8メートル)を描き、枝にメッセージを書いた葉形(縦4センチ、横7センチ)の紙を張る。【安間教雄】

5月17日朝刊

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 名古屋市の河村たかし市長は16日の会見で、「東日本大震災の被災地の産業支援に、市として積極的に取り組みたい。事業進出、雇用を考えている方は、ぜひ連絡してほしい」と呼び掛け、被災地で新たな事業を検討する名古屋の企業を支援する考えを示した。
 名古屋市が職員を中長期的に派遣して行政機能をサポートする岩手県陸前高田市を想定しているが、同市以外への進出なども支援する方針。
 河村市長は「ある程度(企業)数がそろったところで説明会などを開き、皆さんと(現地に)一緒に行って、どういうビジネスが可能か検討したい」などと述べた。市企画経理課によると、具体的な支援策は今後検討するという。
 また河村市長は、中部電力浜岡原発の運転停止に伴う庁内勉強会「エネルギー政策検討会」の初会合を17日に開くことを明らかにした。【福島祥】

5月17日朝刊

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 県は、東日本大震災の影響で資金難に陥った企業への低利融資制度「あいちガンバロー資金」の融資枠を1000億円増やし、2000億円にする。4月26日に始まった同資金の申込額が、予定の1000億円を早くも突破したため。大村秀章知事は会見で、国の緊急融資制度が始まる23日まで「県としてできる限りの支援をする」と述べた。
 この融資制度では、震災によって売上高や利益が落ちた中小企業を対象に、無担保で最大5000万円を最長3年間融資する。年利1・5%で、保証料(通常0・38〜1・74%)は免除する。昔出会いの実用性融資業務は県信用保証協会と契約を結ぶ県内主要金融機関が担う。問い合わせは県中小企業金融課(052・954・6333)。【三木幸治】

5月17日朝刊

 ◇「前向き生きるしかない」 悲しみ秘めボランティア
 「いやぁ、あの時と何にも変わってないですけど、仮設住宅への入居がやっと決まりました」。取材で訪れた岩手県陸前高田市の避難所で生活する松田雅範さん(41)と先日、久しぶりに電話で話した。しっかりした声に少し安堵(あんど)した。
 松田さんは避難所で暮らしながら、数百人分の避難者の食事を作るボランティア活動をしていた。屋外にある炊事場では被災者同士で冗談が飛び交う。被災地の取材で気分が滅入りがちだった私は、炊事場に足を運んでは気を紛らわせた。
 出会って1週間ほどたったある日、何気なく松田さんの被災体験を尋ねてみた。
 背後に迫る津波から必死で逃げる次女を車の中に引っ張り込んだこと、避難を拒む寝たきりの隣人を布団にくるんで家から担ぎ出したこと−−。松田さんはボランティア活動の合間を縫って、行方が分からなくなった姉夫婦を遺体安置所で捜し続けていた。遺児となった姉の子ども3人を引き取っていた。松田さんが語った、幼子3人に両親の死を告げる情景は、あまりにも悲しかった。
 私は、松田さんについて何も理解していなかった。被災者が心の奥底にしまい込んでいる悲しみや苦しみに目を向けてこなかった。心身ともに疲れ果てていたにもかかわらず、炊事場でボランティアとして気丈に振る舞っていた松田さんは、家や親族、仕事も失った中で、生きる意味を必死に模索していたのだろう。
 被災地の問題や実情を多くの人に伝えること。それしか私にできることはなかった。
 震災遺児の現状を伝えたいと、松田さんに取材を申し入れた。「同じような子どもたちのためになるなら」と快く応じてくれた。記事には大きな反響があり、松田さんも「よく書けてると思います」とほめてくれた。
 陸前高田市の取材最終日の4月13日、私には「帰る場所」があるという後ろめたい気持ちを抱きながら炊事場を訪れた。松田さんは温かく迎えてくれた。
 「正直どうしていいのか分かんないけど、前向いて生きてくしかないからさ。また来てよ」。笑顔で固い握手をしてくれた。そして「絶対忘れないでくださいね」と言った。♪ハッピーメールですか?【中部報道センター・沢田勇、写真も】

5月17日朝刊

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